盗人猛々しい
あなたのこととですよプーさん
くまのプーさんは可愛いのだけど、あなたには狂気しか感じません
ひと月以上も戦争を止められないのは各国のお偉い方々情けないですよ
日本にいる米軍の方々、日本がこのような目に遭ったときは何をしてくれるのでしょうか
廃墟になった町の写真に息が止まります
私には戦中、戦後直ぐの記憶はありません
赤ちゃんだったのでね
母は戦争中の話をあまりしませんでしたが、
叔母が私を背負い、母がおしめの袋を持って中島飛行機工場の方へ逃げたそうです
一番危険な方へ、知らないというのは恐ろしいものです
大きな(多分)工場なら安心と思ったのでしょう
ウクライナの方々の恐怖を我が事のように実感します
今 ロシアの兵士に届けたい
君死にたまふことなかれ
親は刃をにぎらせて
人を殺せと教へしや
人を殺して死ねよとて
廿四までを育てしや
| 固定リンク
山姥の本性
楽しい記事ではありませんので、どうぞスルーをお願いいたします。
家の白い猫が、野良を追って飛び出していった。
私も窓から飛び出すと、足下に顔の汚れた白い子猫がうずくまっていた。
この子を飼うようになるかしらと思いつつ後を追った。
ベランダの突き当りを左に曲がり、さらに左に曲がった。
えっ!!!
小指ほどの子猫から大きな子まで、30匹ぐらい子猫がいた。
こんなには飼えない。
元来た道を戻ると、昔保育園でお世話になった方がドアから出てきた。
「これこれしかじか」と伝えると
しゃがんで仕事をしていた下男とそちらへむかった。
しばらくして二人は何事もなかったように戻ってきた。
私はみんな始末をされてしまったと、重い嫌な気持ちになった。
自分が嫌な気持ちになっただけ?
始末されても仕方ないって思わなかった?
嫌なことを他人にさせなかった?
殺された子のことは何とも思わなかったの?
それでゴンを思って泣くなんておかしくない?
自分が自分に問うていました。
そこで目が覚めました。
4日程前、本から目を上げると窓の外に大きな月が見えた。
「ゴンが居ないんだ」
「ゴンが居なくなったんだよ~」と
まるで月に訴えるように泣き出した。
晩年のゴンの散歩は暗くなってからだったので、公園の隅を探検するゴンを片目に、よく月をながめていました。
その時は、まだまだ病の途中と思っていたのですが、自分の本性を自覚した今、ペットロスの終結となるのでしょうか?
ゴン 2月5日
ゴンが逝って2ヶ月が経ちました
その間、ゴンの世話といっても、ご飯、お水、散歩こんなことしかしていなかったのに、時間が余って不抜けていました。
二人の写真は、ペットショップで撮ったのと、亡くなる9日前のこの写真ぐらいかな
母が亡くなったあと二人で暮らした14年余、この小さな子が抜けた穴はとてつもなく大きなものでした
かかりつけ医には、たくさん泣いて、たくさん話をしなさいと言われましたが、今でもゴンの話を人としたくない
何なんでしょうね
コロナの新規感染者数が、我が区では700人を超える日が続いていたりして、怖くて出かけることも出来ません。
朝、起こされることもないし
することもないし
しばらく不抜けていることになりそうです
つぶやき欄が入力出来なくなりました。
返信入力中、どこかをクリックしたようです。
コメント欄を開けました。よろしければそちらにお越しくださいませ。
最近のコメント